昨年執筆した島根「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない島根県の歴史を読み解く! (じっぴコンパクト新書)で、帯にもしていただきました<明治初期、松江藩が横浜で経営していたビール工場>。その場所へ実際に行ってみました。元町・中華街駅からスタートすると、このエリアは日本発祥いくつもあるエリア。ひとつずつ見て回ってもいいけれど、寒いし(笑)きっと居留地や外国人の住む場所を作るために切り開いた場所なのでしょうね。崖や坂が多い。ブラフ=崖からもわかるとおりです。ブラフ番号はできた順に付番されたらしく、今の住所表記のようにきれいには並んでいません~行きたい場所は今の住所や建物で判別するしかないです。最初に訪問したのは北方小学校。ここにビール造りに活用した井戸があるとのこと。探しましたー!あったあった。敷地内にありますが、道路ぎわから見ることができます。レンガ造り!萌え。西洋瓦と煉瓦の工場もあったという横浜。関東大震災で倒壊してしまったのですが、昔の煉瓦を今でもこうしてみることができます。googleストリートビューでも見ることができましたよー。こちらも煉瓦。キリンビールの大元となったスプリング・バレー・ブルワリーの工場壁。これは生麦のキリンビール工場横のレストラン近くでも見ることができました。キリンビール スプリングバレーブルワリー横浜の入り口にある煉瓦。同じものですよね!ビール関連の史跡がある麒麟園(公園)の横の道はビヤザケ通りといいます。周辺は素晴らしく大きなお宅ばかり・・・。それも少し昔のレトロな雰囲気を残し石垣だったり、重厚感ある建物だったりします。エリアの壁にはこんなタイルがはまっていました。歴史的な場所なのですね。坂を一度降りてからまた登って。フェリス女学院の方面へ向かうとありました!!!!山手46番。トップの写真もこの46番にあったお店です。日本で最初に出来たビール工場・ジャパン・ヨコハマ・ブルワリーがあった場所。キリンビールの前身であるスプリング・バレー・ブルワリーが日本で最初、という言われ方をすることもありますが、きちんと持続して経営できたビール工場としてはSVBが最初、でもビール工場の発祥と言えばそれより前のジャパン・ブルワリーが先です。今はパパスが持ってるの?ちなみに日本人が作ったビールとしては大阪が発祥を名乗ります。「日本初」といっても微妙に意味合いが違う"初めて"があるものですねー^^自分メモとしてまとめておくと・・・1869(明治2)年 山手46番ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー創業(ドイツ人 ローゼンフェルトにより)山手68番ヘフト・ブルワリー創業(オランダ人 ヘフトにより)山手123番ヘフト・ブルワリー創業(ノルウェー人 コープランドにより)1870(明治3)年 松江藩がジャパン・ヨコハマ・ブルワリーの経営始める山手123番ヘフトBからスプリングバレーBと名前を変えビールを醸造1872(明治5)年 大阪渋谷(しぶたに)麦酒、日本初の日本人が作ったビール1874(明治7)年 ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー廃業ヘフト・ブルワリー廃業も、JYBにいたウィーガントによりババリア・ブルワリーへと再興1875(明治8)年 日本初ビアガーデン「スプリング・バレー・ビヤガーデン」開業(コープランド)1876(明治9)年 札幌開拓使麦酒(村橋久成により)創業⇒現在のサッポロビールこれが日本のビールの夜明けです。その後コープランドのSVBとウィーガントのBBは合併し連名の会社を設立しますが徐々に対立し、SVBも廃業してしまいます。この時SVBの売却に資金提供した一人には岩崎弥太郎がいます。キリンビールと三菱系のつながりが、こんな歴史の上に成り立っているとは・・・・。すごいなーすごいなー。松江藩の資料ではビールの売れ行きや飲み逃げした外国人の名前などが記されていてとても興味深いです!今回ちょっと見落としたところも多かったけど、歴史散歩がとても楽しかったー。専門家の人がいたら一緒に歩いてみたいなぁ~。横浜は楽しい。フェリスからの山手カトリック教会。司教のみが座ることができる椅子、っていうのに感動したー!ずいぶん古い像らしいけど、きれいに残っていました。ボランティアでお掃除されている方がいらっしゃいました。歴史をゆっくり見て回ったから、この日のランチも横浜らしいご当地グルメにしましたよー次に続きます。---
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