「島根⇒広島 中国しまなみ街道の旅」は島根県の出雲大社周辺から松江へと場所を移してきました。松江の武家屋敷から少し高いところに上がったところ、明々庵はあります。こちら、松江城が美しく見える場所としても有名です。ランドマークとしての松江城が裏側から見えるのです。松江は城下町です。松江のお殿様はこの小さな松江藩の財政を一生懸命立て直しつつも、風流人としての趣味やセンスを生かして、町の文化にも大きく影響を与えました。そのひとつがお茶と和菓子という文化です。当時の人たちが独自の茶文化を築き、ここまで盛んにしたのは本当に大きな功績です。先人たちにありがとう!私はお茶は習わなかっ...ごにょごにょ。でも、家族は習っていて自宅でも普通にお茶を淹れるみたいに点ててもらって飲むこともしばしば。作法どうのこうのではないんですよ。もうほんとに簡単に、最低限のやり方で、ちゃちゃっとお茶点ててお菓子出して食べたりします。これは少しエリアが外れると「そうではない」という方もいて、出雲・松江あたりだけかもしれないです。さて松江藩七代目のお殿様であった松平治郷さんは、お茶に使うための和菓子を菓子職人にたくさん作らせました。それらは花鳥風月をモチーフとして、四季を表現しています。治郷は不昧公(ふまいこう)とも呼ばれますが治郷が好んだものを不昧公好みと呼び、市民にもとても親しまれています。薄緑の求肥のお菓子が「若草」、黄色い落雁に白い蝶が飛ぶ姿を現した「菜種の里」。これらは商品名ではなく、お菓子そのものの名前。なので色んな和菓子店が売り出していてみんなそれぞれのごひいきがあるようです。松江銘菓の中にも三大がありますが、その2つがこれら。もうひとつは「山川」です。若草、山川は様々な和菓子屋で販売されているのですが、菜種の里だけは三英堂のみ1軒だけが製造しています。また、治郷は松江にお茶室を残しています。そのひとつが明々庵。治郷29歳の頃、手書きの指示書を書いて作らせた茶室です。躙口(にじりぐち)屋根分厚いっ。屋根には治郷直筆の「明々庵」扁額。この同じ敷地内にあるのが「百草亭」で、前述のお茶をいただける席があります。(明々庵の中には入れません)こちらで食べられるお菓子は、百草亭専用に作られたサイズのものです。美しい庭を見ながら一服いただいて、松江の話を聞くことができますよ。ブラタモリ松江編のまとめが上がっていました。NHK公式少し時間が押してきました・・・ってことで松江城へ行こうと思ったら、こんな方が待っていらっしゃいました!え・・・だれ?(笑)---
This article is a sponsored article by ''.