おとといの富山食育講演会で、JA富山 女性部の会長さんがおみやげにくださった鱒寿し。嬉しかった。包みを開く時に、これほど緊張するお寿司ってなかなかない。めいっぱいの緊張状態で引っ張り合っている竹を止めるゴムを外すときのどきどき感。竹の棒4本で止めてある。この青竹が、嬉しい。木のフタに曲げ輪っぱ。竹と木材。森林の資源が活かされています。笹もふんだんに。乾燥予防と抗菌になっているのでしょう。新潟・村上のクマザサを使用しているそう!いいね!おととい、案内いただいた富山市の地場もん屋でも笹が売られていました。さすが!ます寿司文化の町〜。わわ。二段でしたー!豪華な方のやつやーーー。おみやげにくださった方の気前の良さ!しっかり受け止めました。カット用のプラスチックナイフが入っていますが、きれいに切りたいので家の包丁で〜。サクラマスだってーーー。色もきれいで肉厚でたまりません。富山名産鱒の寿し青山総本舗富山にます寿司メーカーはいろいろある中で、選んでくれた人は、青山総本舗さんが好きなのでしょう。わたしのような素人は、「富山のます寿司」と一緒くたにしてしまいがちですが、地元の人は、この店がおいしい、あの店はどうこうとこだわりを持っているんでしょうね。と思って調べると、富山ます寿し協同組合に加盟するお店は実に14軒ありました。それぞれ特徴があるようです。この間、カンブリア宮殿で、博多に「明太子」を生み出したふくやが、レシピや権利を独占することなく、解放したことで、博多全体の名産になったという話をやっていたのを思い出しました。鱒寿しメーカーが一丸となって、「富山の地に鱒寿司あり!」と、広めようとするのはよいことですね。あれ...こっちのサイトで見たら、ます寿司メーカーは15軒あります。http://find-travel.jp/article/13355どういうことだろう。さらに、富山市観光協会サイトには、17店舗載っていました。これはなにか謎があるらしい〜...。ます寿司の起源は、神通川流域のマスを食べる文化から、富山藩3代藩主が徳川吉宗に「鮎寿司」を献上し、その製法からます寿司が生まれたという説があります。駅弁としてのます寿司は1912年。全国に広めたのは「源(みなもと)」さん。ですが、富山ます寿し協同組合には加盟していません。源さんは、駅弁業者なので、地元のます寿司とは一線を画すとWikiが教えてくれました。駅弁としてJRの売店ほか大きなお店を構えているので、もっともポピュラーなのは源さんですが、事情はいろいろあるみたいですね。いま調べるまで、知らなかった〜〜〜。そういえば、富山のます寿し組合14軒の中に、「元祖」とか「本舗」とかついているお店がいくつかありました。それぞれ、うちが一番だと競い合っているのでしょう。決して悪いことではありません。ただ、ちょっと思い出したのは、前述の博多の明太子ふくやの創業者は、元祖とか本家とかそういうのさえ、名乗らないことにこだわったそうです。創業者は、今の川原社長のお父さん・川原敏夫さんですが、商標登録も製造法特許も取らない父に、息子としてはじめは付いていけなかったそうです。しかし、福岡市民はみんなその物語を知っていて、味の好みはいろいろあるけれど、明太子の生みの親はふくやさんだという認識は圧倒的にあるそうです。ううう〜〜ん、いい話だと思ったことを思い出しました。ます寿司からだい〜ぶ話がそれました。そんなわけで、二段でうれしさ倍増!笹のグリーンからサクラマスのサーモンピンク♡すばらしい色合い〜。富山に鱒の寿しがあってよかったー!これ考えた人えらい!作った人ありがとう!おみやげくれた会長さん本当にありがとう〜〜\(^o^)/おいしくいただきましたー。2段だったので半分、友達におすそ分けしました。ごちそうさまでした。#鱒の寿し#ますのすし#toyama#富山ベジアナ@あゆみ
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