グランピングとは?
最近、メディアでチラホラ耳にする「グランピング(glamping)」。「グランピング」とは、グラマラス(glamorous)とキャンピング(camping)を掛け合わせた造語。
ビルの屋上やテラスや海辺や湖畔などので食事をしたり、BBQをしたりするだけでは「グランピング」とは呼ばない
それでは従来からのオープンテラスカフェでありピクニックでしかない。
キャンプの語源「camping (キャンピング)」は、野外で一時的な生活をすることだ。glampingを直訳すると「豪奢な野営」、すなわち自然の中でラグジュアリーな食事や宿泊を過ごすことを意味する。さらに分かり易くいえば「施設が提供してくれるホテルライクなキャンプリゾート」のことだ。
「グランピング」とは何も今に始まったものではない。講談社Glamp編集長吉村司氏によると、19~20世紀初頭、イギリス、フランス、イタリア等の貴族たちが植民地に総統府を建てる際、現地でのテント生活でも宮殿での生活と同じような快適さを求めてやまなかったのが始まりと云う。
参照:グランピングの歴史はルイ・ヴィトンから始まった
日本最古のグランピング施設「天正庵」で茶々と秀吉もグランピング?
自分が思うに、日本で最初に「グランピング」を行ったのは、「豊臣秀吉」でなかろうか。
世に云う「小田原攻め」(1590年)にて諸国から大名が小田原に集結。石垣山に陣城を築き小田原城包囲戦が始まると、太閤秀吉は茶人の千利休に命じ大茶会などを連日開き、京や堺の商人を陣中に出入りさせ、名物を持ち込み酒宴や舞を楽しみ北条方の戦意喪失をはかったという。
利休はまた、韮山の竹でつくった花入を秀吉に進上したり、秀吉の命によって小田原・江之浦に数寄屋「天正庵」を造り、そこで茶の湯を点て武将らの労をねぎらった。事実、現地には秀吉から拝領された酒器や碁盤などが保存されている。
秀吉は小田原攻めに側室の淀君(茶々)を帯同したが、石垣城や天正庵で相模湾を見下ろしながら茶々と秀吉がグランピングを楽しんだことは想像に難くない。
小田原攻めという歴史的事件のもと天下人「豊臣秀吉」、そして茶聖「千利休」よってグランピングが行われていたとは、なんともロマンに満ち満ちている。(歴史好きには有名だが、秀吉と利休の関係が急速に悪化していく事件が小田原攻めにあるんだよねぇ...)
あぁぁぁ...最近ロマンが足りていない俺は、俄然「グランピング」したくなってきた(笑)
海外では、20世紀からセレブによって滞在型のリゾート「グランピング」が楽しまれ、グランピングサイトも充実している。
これまで国内に本格的なグランピングを謳う施設は極めて少なかったが、昨年、富士山麓に滞在型のグランピングリゾート「星のや富士」がオープンした。
まず、温泉リゾートを祖とする「星のや」にあって、温泉施設がないのが驚きだ。温泉があることで、ホスピタリティの多くが、良くも悪くもスパ(温泉)に集約されてしまうのを嫌った、極めてアグレッシブな試みに思う。余計に「星のや富士」に行ってみたくなった。
(星のや富士の記事に続く)
参照
※ちなみに、小田原攻めの際、利休が秀吉に進上した韮山竹の花入一つの「園城寺」は東京国立博物館に収蔵され、重要文化財に指定されている。
※2016年「天正庵」を再興し、現在では継承が困難になりつつある伝統的な工法や技法が再現される予定。
※天正庵前付近のGoogleマップストリートビュー